藤田元監督…死去
    2006年 02月 10日
e0007617_20194766.jpg巨人の元監督、藤田元司(ふじた・もとし)氏が9日午後6時40分、心不全のため、都内の病院で死去した。74歳だった。
監督として通算7年間で4度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた名将でもある。


「球界の紳士」がこの世を去った…
藤田さんは昨年12月22日に入院。
現役時代から心臓をわずらい、監督退任後はじん臓透析を続けるなど病気と闘ってきたが、
今回は胆石が胆のうを傷つけ、心臓にも悪影響を与えていた。
9日午後6時40分、心不全。ついに帰らぬ人となった。

まさに、巨人に捧げた一生だった。
エースとして連投に次ぐ連投。1年目に新人王、2、3年目とMVPを獲得したが、
日本一には届かなかった。登板過多で故障し、わずか8年で現役引退。
「悲運のエース」と呼ばれた。

長嶋名誉監督、原監督が復帰できたのも藤田さんの存在があったから。
「球界の紳士」は命をかけて巨人を救った。


原監督は…
宮崎市内の外出先で悲報を聞くと絶句、号泣したという。
「容体が悪いことは聞いていました。それでも心の奥底で“藤田監督が亡くなるわけないだろう。オレをずっと見守ってくれる人なんだ”という、お願いに近い妄想を抱いていました。わたしにとって恩師という言葉以上の恩人であり、かけがえのない人でした」と…。


藤田さんは病床で夫人の節子さんに…
「原がやるんだから大丈夫」と話していた。
一方で親しい人には「いまの巨人は元に戻るまでに2、3年かかる。フロントが最後まで我慢をしないといけない」とも語り、これが“遺言”となった。


◆藤田 元司◆
1931(昭和6)年8月7日、愛媛県生まれ。
西条北高(現西条高)-慶大。六大学リーグ通算31勝をマークしながら
登板シーズンに優勝できず「悲運のエース」と呼ばれた。

日本石油(現新日本石油)を経て57年巨人入団。
同年、17勝(13敗)を挙げて新人王。MVP2度、
最多勝1度などのタイトルを獲得し、64年に引退
するまで364試合に登板、119勝88敗、防御率2.20。
引退後は大洋(現横浜)でコーチなどを務め、
81年巨人監督に就任、1年目に日本一。83年退任。

89年巨人監督に復帰。7年間の監督生活で
4度のリーグ優勝、2度の日本一を達成した。
監督通算成績は910試合で516勝361敗33分、勝率.588。
96年に殿堂入り。

昨年のオリックス仰木監督に次いでまた…。
“名将”といわれた指導者が相次いで亡くなるとは悲しい限り。
ご冥福をお祈りします。
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by hide-cite | 2006-02-10 20:24 | 野球
   
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