2000本安打…石井琢朗
    2006年 05月 13日
前日の試合で2000本安打まで…“あと1本”
横浜・石井琢朗内野手(35)が11日の楽天戦の初回!
試合開始から6分。愛敬の投じた3球目を中前へ打ち返し、
史上34人目の通算2000本安打を達成した。
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石井琢朗と言えば…元ピッチャー!?!?
投手として勝ち星を挙げながら2000本安打を達成したのは
川上哲治氏(元巨人監督)以来、2人目!!
2リーグ制以降では初めての快挙。
遠回りにも見えた3年間の投手経験だが、それは決して無駄ではなかった(><)

努力をしてきた男は何度も涙をぬぐった。
試合後に特別に用意されたヒーローインタビュー。
ファンの大歓声を受けた石井はこらえきれず男泣きした。

最後まで残ってくれたファンに深々と敬礼すると…
詩織夫人、そして両親がいた一塁側スタンドに向かって感謝の意を込めて左手を挙げた。

石井のコメント…
「ここ何日間は夢の中でヒットを打ち続けて疲れました。記録はいずれ達成できるとは思っていたけど、ここ何年間は思うように結果を出せず苦しい思いをした。僕1人の力でここまでこられたとは思っていない。本当に感謝したい」

12日から札幌遠征…本拠地・横浜スタジアムで決めるにはこの日がラストチャンス。
89年の初安打と同じ中前打で記念の一打を飾った。


1991年(平成3年)、11月4日。
横浜スタジアムで行われたファン感謝デーの直後だった。
1人で監督室にやってきた石井は、当時の須藤監督に…
「投手は限界です。野手に転向させてほしい」と直訴。

須藤さんはこう振り返る。
「怒ったね。20歳そこそこで何いってるんだと思った。死ぬ気でやったのか、と。(石井は巨人の)桑田とダブらせていたし、野手に転向してダメになった人をいっぱい知っていたからね」
“桑田二世”と評価していた須藤監督。
投手陣の若返りを図っていたチーム事情もあって、
簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。一方で野手としての素質も認めていた。
「巨人の二軍監督時代に見ていたからね。バッティング、グラブさばき、特にスナップを効かせたスローイングは桑田(巨人)もできなかった」

何時間がたっただろう。外は真っ暗になっていた。
それでも石井はまったく“引く”気配がない。
「1人で監督室を訪ね、一歩も引き下がらなかった勇気を認めて許してやった」
最後はその日のうちに野手転向を認めた。そして、二軍のコーチにこう指示を出した。

「(素質がいいんだから)余計な色をつけるな」

大洋監督時代の須藤氏。石井の良き理解者だった
転向1年目の92年4月初め、遊撃の高橋が手首を痛めてリタイアした。

「すぐに(石井を)呼んで“ショートをやれ”といった。遊撃をこなせればどこでも守れるからね。私は河埜(現巨人フロント)や川相(中日)を育てたけど、あれだけ3拍子そろった選手は見たことがない。私は大洋のあと巨人に戻ったが、守りと足で何度泣かされたことか…」

新たな出発。足利工の先輩の占い師に相談し改名を決断。
本名の「忠徳(ただのり)」から字画などを考慮して「琢朗」に登録名を変更。


あのとき、須藤監督が認めなかったら、今の石井はない。
当時の指揮官が感じた“素質”はこの日、2000安打という形になった。

「心からおめでとうといいたい。丈夫な体に生んでくれた両親に感謝してほしい」
偉業の陰に恩師がいた。

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by hide-cite | 2006-05-13 01:42 | 野球
   
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